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岡山地方裁判所 昭和47年(ワ)698号 判決 1988年3月22日

原告兼当事者参加人 小野一太

右訴訟代理人弁護士 近藤弦之介

同 的場真介

原告(脱退) 小野千草

<ほか一名>

右原告二名訴訟代理人弁護士 近藤弦之介

被告 亡梶谷保訴訟承継人 梶谷幸

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 柴田徹男

主文

一  原告兼当事者参加人に対し、

1  被告梶谷幸は金二二〇万円、及びこれに対する昭和四七年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

2  被告梶谷伸顕及び同万代順子は各自金一一〇万円及びこれに対する昭和四七年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

二  原告兼当事者参加人のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分しその一を原告兼当事者参加人の負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  原告兼当事者参加人に対し、

1 被告梶谷幸は金一〇〇五万円及びこれに対する昭和四七年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

2 被告梶谷伸顕微及び同万代順子は各自金五〇二万五〇〇〇円及びこれに対する右同日から支払済みまで右同割合による金員を

それぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行の宣言

(請求の趣旨に対する答弁)

一  原告兼当事者参加人の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告兼当事者参加人の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  当事者等

1 原告兼当事者参加人小野一太(以下単に「原告」という。)は訴外亡小野好子(以下「好子」という。)の長男、脱退前原告小野千草(以下「千草」という。)は長女、同佐藤貞(以下「貞」という。)は二女である。

2 訴訟承継前被告梶谷保(以下「梶谷」という。)は医師であり、昭和二六年六月以来被告梶谷幸(以下「被告幸」という。)の肩書住所地と同一場所において梶谷外科医院を経営していた。

被告幸は梶谷の妻、被告梶谷伸顕(以下「被告伸顕」という。)は梶谷の長男、被告万代順子(以下「被告順子」という。)は梶谷の三女である。

二  準委任契約の成立

好子は、昭和四四年一一月二七日(以下年号を示さない場合は、すべて昭和四四年を指す。)右下腹部の圧痛を訴えて梶谷の診察を受けたところ、虫垂炎による穿孔性腹膜炎で要手術との診断を受けたので、即時梶谷に対し、同手術の実施方を委託し、梶谷はこれを承諾した。

三  不完全履行

1 梶谷は右同日午後八時四五分頃から、梶谷外科医院手術室で好子に対し開腹手術を行った際、その腹腔内に小児手拳大の腫瘤を発見し、その切除及びその後の治療のためには、輸血が必要であると判断したが、このような場合、主治医としては、右の輸血に先立って、昭和二七年六月二三日厚生省告示第一三八号において「輸血に関し医師又は歯科医師の準拠すべき基準」として、「血液型は給血者と受血者について血液型判定用血清を使用して正確に検査を行うと共に、給血者と受血者との血液各小量を混じて凝集反応を調べること」を要する旨規定していることからも明らかなとおり、好子の血液についてABO式血液型判定用血清を用いた精密検査をしてそのABO式血液型を判定すると共に、合わせて交差適合試験を実施したうえ、これに適合した血液を輸血し、いやしくも血液型を異にした血液を輸血して好子に病変を負わしめることがないようにすべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、自らは好子の血液型検査を全くせず、梶谷外科医院勤務の准看護婦河田万左子(以下「河田看護婦」という。)を通じて好子等から血液型がAB型である旨を聴取しただけで好子の血液型が実際はB型であるのにAB型であると軽信し、河田看護婦に指示して岡山県血液配給センター(以下「血液センター」という。)からAB型血液二〇〇cc入りの血液瓶三本を取り寄せさせたうえ、同日午後一〇時三〇分頃、梶谷の依頼により好子に全身麻酔を施すために手術室に来合わせていた梶谷の履行補助者にあたる岡山大学医学部麻酔科勤務医師馬場国男(以下「馬場医師」という。)をして右血液型のうち二〇〇ccを、更に、翌二八日午前九時過ぎ頃、河田看護婦をして同じく約二五〇ccをそれぞれ好子に対し輸血させた(以下前者を「本件第一回輸血」、後者を「本件第二回輸血」、両者を合せて「本件二回の輸血」という。)。

四  因果関係

1 一般に、ABO式血液不適合輸血(以下「不適合輸血」という。)の際の症状は、無麻酔の状態では、輸血開始後に不安感、血行走行に沿う熱感、しびれ感、次いで胸部圧迫感、胸痛、呼吸困難、腰痛、悪感、戦慄、蕁麻疹、脈拍微弱頻数、血圧下降、チアノーゼ、瞳孔散大、悪心嘔吐、排便、発熱等の現象の全部又は一部を呈する。不適合輸血によるこのショック症状により輸血後一日以内に起こる早期死を幸い切り抜けた者は、その後血色素尿から血色素尿性ネフローゼ(下部ネフロンネフローシス)で代表される腎障害を発し、欠尿、無尿(尿量が少ないにもかかわらず比重低くかつ酸性)となり、血液中に残余窒素、カリウム、水分が異常蓄積され、遂に尿毒症に至り、食欲不振、全身異和、頭痛、血圧亢進、全身浮腫、意識混濁を来たす。また不適合輸血は、肝障害として、特に血栓形成や溶血による血色素の毒性のためもたらされる肝臓実質細胞の退行変性の形で現われる。かくして腎不全を中心とする全身の障害により、輸血後数日ないし数十日で死亡する(「晩期死」といわれている。)者がある、以上のとおりいわれている。

2 前記二回の不適合輸血の結果、第二回輸血中に好子をショック状態に陥らしめ、激甚なる悪寒、戦慄発熱等の症状を出現させたほか、第二回輸血直後の一二月二八日午前一一時頃導尿した尿から血色素をあらわす蛋白が検出され翌二九日早朝片山晃栄付添看護婦(以下「片山付添婦」という。)が尿の色の異常を認めて梶谷に直接尿検査を求めていることからも窺われるごとく、輸血の一、二日以後相当長期間にわたり強い溶血作用とその徴表である血色素尿、欠尿、無尿の症状を生じさせた。そしてこの溶血作用により好子は、顕著な黄疸を発現すると共に腎臓に血色素尿性ネフローゼの病変を生じ、更に、黄疸や血色素性ネフローゼ等が相互に補強しあう中で衰弱を深めた。ただ好子の場合には、たまたま肝臓の方が丈夫でなかったので、溶血毒性によって肝障害の方が強く現われ、同じ原因によって惹起された腎不全のために血液中に異常蓄積された老癈物や梶谷医師が投与した抗生物質の肝毒性により、次第に悪化し、遂には肝臓に亜急性赤色肝萎縮(激症肝炎)の病変を生じ、よって一二月三〇日午後六時一三分死に至ったものである(以下「本件事故」という。)。

3 したがって梶谷は、前記二によって発生した債務につき、同三の不完全履行をなし、同四のとおり好子に被害を与えたので、好子らに生じた次の損害につきこれを賠償すべき債務を負う。

五  好子の傷害、死亡に基づく損害

1 好子の損害

(一) 逸失利益 六〇〇万円

好子は訴外有限会社小野藤商店の取締役であり同社の実質上の代表者であったところ、同社の昭和四四年当時の純利益は年六〇〇万円を下らず、好子は実質的な代表者として同社から少なくとも年一五〇万円を下らない収入を得ていた。なお好子の昭和四四年度分の住民税の課税標準額は一六三万二〇〇〇円であるが、これでも好子が実際得ていた年収の半分にも満たない金額である。

好子は本件事故当時六三才の女性で平均余命の半分である八年間就労可能であるところ、生活費として一家の支柱であったことを考慮して三割を差し引き、年五分の割合による中間利息分(ホフマン係数六・五八八六)を控除して計算するとその逸失利益額は六九一万八〇三〇円であり、前記六〇〇万円を下ることがない。

一五〇万円×(一-〇、三)×六・五八八六=六九一万八〇三〇円

(二) 慰藉料 六〇〇万円

好子は梶谷医師の極めて重大な過失による不適合輸血のため三三日間にわたり死に直面する恐怖と苦痛にさいなまれ苦悶の死を遂げた。その他好子の年令、地位、梶谷医師の事故後にとった態度等諸般の事情を考慮すれば、その慰藉料額は六〇〇万円をもって相当とする。

(三) 小計 一二〇〇万円

2 千草の損害

(一) 治療費 一〇〇万円

千草は医師の指示により六〇〇〇ccものB型の交換輸血用血液を緊急に集めるため、縁故や新聞広告によって供血者を集めたが、そのうち実際に採血した九〇名に各一万円宛、採血のため来てもらったが採血できなかった人二〇名に各五〇〇〇円宛、計一〇〇万円以上の謝礼を支払った。

(二) 葬祭費 二〇万円

千草は葬祭費として二〇万円を下らない金員を出捐した。

(三) 固有の慰藉料 二〇〇万円

千草は、思慕してやまない母好子のあまりにも無残な死に直面して筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を受けたばかりか、後になって実は虫垂すら切除できていなかったという事実を知って大きな衝撃を受け、更に、訴訟における梶谷の不誠実極まる対応、特に不適合輸血の事実すら頑強に争い、明らかに誤っている血液型判定方法を正しいと強弁してきたこと、蛋白尿などの重要事実を隠蔽したこと、並びに「誣告をした。」など千草らを逆に罵ってきたことなどにより、千草らは長年月困難な訴訟追行を強いられ、多大の精神的苦痛を被った。千草の被った右の精神的苦痛を慰藉するには二〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用 三〇万円

(五) 小計 三五〇万円

3 原告及び貞の各損害

(一) 固有の慰藉料   各二〇〇万円

千草と同様である。

(二) 弁護士費用 各三〇万円

(三) 小計 各二三〇万円

4 好子の損害賠償請求債権一二〇〇万円は、原告、千草及び貞が各三分の一宛相続した。

5 梶谷は昭和五八年一〇月一一日死亡し、同人の相続債務一切を被告幸が二分の一、被告伸顕、同順子が各四分の一宛それぞれ相続した(なお梶谷の長女訴外柴田真子は適法に相続放棄済みである。)。

6 千草及び貞は昭和六一年五月六日原告に対し、被告らに対する本件損害賠償請求債権(相続した分及び固有の分を含む。)を譲渡し、その頃その旨被告らに通知した。

六  結論

よって、原告に対し、不完全履行に基づく損害賠償金として、被告幸は一〇〇五万円を、被告伸顕及び同順子は各五〇二万五〇〇〇円宛を、それぞれ右金員に対する、本件訴状送達により支払請求をした日の翌日である昭和五七年一二月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を付加して支払え。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一及び二の各事実は認める。

二  請求原因三の事実中、梶谷が、原告主張どおりの開腹手術を行った際好子の腹腔内に腫瘤を発見し、更にこれを切除するため輸血を行うこととし、全身麻酔のため岡山大学医学部から応援に来た馬場医師がAB型血液の輸血を行ったことは認め、その余は否認する。

1 本件二回の輸血時好子の血液型がB型であったという確証は何一つない。

即ち、

(一)馬場医師は、第一回輸血の直前、スライドガラスの上に輸血用血液瓶に添付されていた交差試験用のAB型血清一滴と血球浮遊血清一滴を採ってそれに手術創から採取した好子の全血を一滴づつ合わせてその凝集反応を調べたが、共に凝集しなかった。(二)好子の血液型がB型であるとは、その後の転院先である岡山大学医学部附属病院(以下「岡大病院」という。)で言い出されたことであるが、確証はない。(三)鑑定人三上芳雄及び同上野正吉作成の各鑑定書(《証拠省略》、以下「三上鑑定」及び「上野鑑定」という。その余の鑑定人作成の各鑑定書についても同様の形式で略称する。)には共に好子の血液型がB型であった旨鑑定されているが、これは好子の死後の保存臓器に基づいて検査された結果であるところ、好子は転院先の岡大病院で一二月二四日から三回にわたり合計一万七〇〇〇cc近くのB型血液による交換輸血を受けているので、直ちに右鑑定結果から好子の血液型がB型であったと即断することはできない。以上の事由があるからである。

2 梶谷には、原告主張の血液型適合性判定義務違反がない。

即ち

(一)本件第一回輸血時においては、応援を要請した馬場医師が右判定を行うべきものである。梶谷は執刀中で手術創の観察のためその手術野から一歩たりとも動くことはできないのであるから、当然手術に同席し、梶谷から輸血をまかされた馬場医師が患者の血液型判定の義務を負うものであり、現に麻酔医は血液型の検査作法を修得している。なお馬場医師は独立の医師の資格において本件麻酔行為及び輸血行為を行ったものであり、この場面においては好子に対する独立の債務者であるから、梶谷の履行補助者ではない。

仮に馬場医師が梶谷の履行補助者であったとしても、馬場医師は前述のとおり二回交差試験を行っている。そして同医師の行った右交差試験は、遠山鑑定によれば、最低限度で基準に合格しているのであるから、客観的作為義務を尽くしたというべきであり、違法とはいえない。

(二)本件第二回輸血時においては、前夜の第一回輸血に対して好子が自覚的にも他覚的にも不適合輸血特有の異常反応を示さなかったのであるから、第一回輸血時に一緒に取寄せた他の血液瓶のAB型血液を更に使用するについては、もはや前記判定義務自体がないというべきである。

三1  請求原因四1の不適合輸血の一般的症状については争わない。

なお遠山鑑定によれば不適合輸血の病態発生のメカニズムにつき大要次のとおり指摘されている。

即ち、不適合輸血とは、受血者(患者)の血漿の中に、供血者の赤血球膜表面にある抗原に対する抗体が存在して、両者の反応によって輸血された供血者の血球が破壊(溶血)されて起こる現象である。そしてその臨床症状並びに免疫的機構は、急性期(同鑑定人は不適合輸血の当日と規定する。)として、不快感、胸部圧迫感、胸痛、背痛、呼吸困難、チアノーゼ、腹痛、嘔吐、下痢、腰痛、悪感、戦慄、発熱、発疹、血圧上昇(初期)、血圧下降を中心とするショック症状更に出血傾向などが起こってくる。その発現は不適合輸血を始めてから早いものは数分で現れるが、遅いものは数時間を経過してから出現することもある。そして不適合輸血の病態生理としては、輸血赤血球膜の抗原基に患者血漿中の抗体(凝集素)が結合し、抗体が沢山結合すれば赤血球は凝集することになり、その凝集は極めて迅速かつ強力である。ここに補体が極めて大きな役割を果たして、反応を起こした赤血球を溶血させ、患者をショック状態に陥らせる物質を活性化する。更に抗体を結合した赤血球の細胞膜に活性化された物質が作用して、これを破壊して溶血がおきる。輸血された型不適合赤血球が患者の血管内で迅速に破壊される反応様式を血管内溶血と称し、ABO式はこれに当たる。この血管内溶血の反応様式をとるものは激しい副作用症状を呈する。しかし、ABO式不適合輸血があったにもかかわらず認むべき副作用症状に乏しく不適合輸血に気が付かない症例も存外に多い。慢性期に移行すると、患者血漿中に遊離ヘモグロビンが出現し、その濃度が高くなるとブドウ酒様の血色素を尿中に排出し、尿量は一般に著しく減少する。この現象は不適合輸血当日より二、三日後までにかけてその傾向が増強される。かくして不適合輸血は腎不全による乏尿、無尿を継続して尿毒症に移行して死に至るものである。

右不適合輸血の医学的機序の理解の第一は、輸血赤血球膜表面にある抗原に対する受血者血漿中の抗体の存在ということである。この抗体の存在と抗原抗体反応が不適合輸血の副作用発症の決め手となるものであり、医学的には免疫機構に属するものであると指摘されている。

2  同四2の事実中、好子が原告主張の日時に死亡したことは認め、その余は否認する。

(一) 好子は、本件第二回輸血の直後震えを起こし寒がったことがある以外には、不適合輸血を窺わせるような何らの異常をも起こしていない。

つまり、好子の顔貌は尋常であり、チアノーゼ、冷汗共になく、顔面蒼白でもなく、意識は鮮明であり、血圧も最高一八〇ミリ水銀柱最低一〇〇ミリ水銀柱(以下「一八〇―一〇〇mm」の形式で略称する。)であり、もとより測定不能な血圧低下はなく、右悪寒の訴えも暫時緩解し、二〇分後には平常に戻った。午前一一時頃導尿をしたところ濃い茶色の尿五〇〇ccが出たが、ウリスティックス試験紙により蛋白と糖の検査をしたところ異常はなく、血色素尿も認められなかった。その後の毎日の尿量には変化がなく、血尿の出現は全くなかった。

(二) 好子に起きた一過性の右の悪感、震えの症状は、遠山鑑定に示されているごとく、数多くの要因が考えられ、不適合輸血の結果であるとはいえず、むしろ、医療行為の過程で往々にして起こる治療の副作用でありいわゆる事故にはあたらないものである。

(三) 好子は一二月一六日黄疸が出ている。しかし黄疸は主としてビリルビン代謝に関与する肝細胞の機能不全によって起こるものであるところ、好子は約一〇年前から胆石症に罹患しており、その後無症状あるいは顕性の症状を慢性的に持続している間に胆管狭窄と胆汁うつ滞が起こり、胆汁性肝硬変を来たしていたものである。そのため、好子が一二月八日梶谷に無断で脂肪食を補食したことを契機として発熱が起こり、右の黄疸が出現したものであって、本件輸血を原因とするものではない。

(四) 好子の腎臓には、小川勝士教授による病理解剖所見記録(以下「小川解剖所見」という。)及び上野鑑定において、下部ネフロンネフローシス(血色素尿性ネフローゼ)なる病変が見出された旨指摘されているが、本件では前記のとおり、血尿、その後の乏尿、無尿の症状が全くなく溶血を起こしたことがないし、却って、岡大病院で行われた一二月二二ないし二五日における血液中の尿素窒素値等についての化学的検査結果は、正常であり、腎機能障害がなかったことを示している。右解剖所見は、その後同病院で行われた大量の交換輸血の際の溶血や、好子の肝機能の重篤な障害による影響などによって生じたものであろう。

(五) 好子は免疫不全症(胸腺低形成症、小川解剖所見四頁参照)があり、そもそも不適合輸血によって通常起こり得る抗原抗体反応が生じない体質であったから、仮に不適合輸血が行われたとしても、本件第二回輸血時に原告主張のような症状が生ずるはずがない。なおこの点は、本件第一回輸血時にも、血圧は一一〇―七〇mmで従前と変りがなく、手術創からの出血傾向も全くなかったなど、何らの異常も出現しなかった点からも肯認されるところである。

(六) 本件輸血と好子の死亡との間には因果関係が明らかに存在しない。このことは三上鑑定を除く、その余の鑑定人が一致して指摘するところであり、梶谷の刑事裁判でも業務上過失致死罪から業務上過失傷害罪に訴因変更をされたところである。

3  同四3の主張は争う。

四1  請求原因五1ないし3の事実はすべて争う。

仮に梶谷に不適合輸血の責任があるとしても、それによって好子が被った身体の被害はごく軽微なものであり、慰藉料額を始めとする原告主張の損害額は極端に過大であって失当である。

2  同五4ないし6の各事実は認める。ただし原告主張の損害賠償請求債権は発生していない。

五  請求原因六の主張は争う。

(抗弁)

仮に不適合輸血を行ったとしても、請求原因に対する認否二2(二)及び(三)で述べたとおり二回の交差試験を行っても異常が認められなかったなどの事情があって不可抗力であり、梶谷には、馬場医師をも含め、過失がなかったものである。

(抗弁に対する認否)

否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因二の準委任契約の成立については当事者間に争いがない。

二  本件事故に至る経過及びその発生

1  請求原因一2前段の梶谷に関する事実、及び、同三のうち、梶谷が原告主張の開腹手術を行った際好子の腹腔内に腫瘤を発見し、更にこれを切除するため輸血を行うこととし、全身麻酔のため岡山大学医学部から応援に来た馬場医師がAB型血液の輸血を行ったこと、並びに、同四2の事実のうち、好子が本件第二回輸血後寒がり震えを起こしたこと、同女が原告主張の日時に死亡したことについては、いずれも当事者間に争いがなく、請求原因四1の不適合輸血の一般的症状については被告はこれを争わない。

2  当事者間に争いのない右1の事実に《証拠省略》を総合すれば、次の諸事実を認めることができる。

(《証拠関係省略》)

(一)  好子は、本件事故当時六三才の女性で、既往一〇年来の慢性胆嚢炎、胆石症、胆管狭窄及びそれに伴う潜在性肝臓障害を持っていたが、外観上は至極健康に恵まれていた。

しかるに好子は、一一月始め頃から全身倦怠、食欲不振を起こし、同月二七日内科医師藤原純夫の診察を受けたところ、盲腸炎と診断され、発熱もあったので、同日午後七時頃千草に伴われて梶谷医院に来院した。

(二)  梶谷は、触診及び血液検査等の結果、虫垂炎による穿孔性腹膜炎と診断したので、入院、手術を勧めたうえ、同日午後八時四五分頃から同医院二階の手術室において、好子に対し腰椎麻酔を施したうえ腹部切開手術を開始した。しかし、壊疸性虫垂は見当たらず、新たに回盲部に小児手拳大の腫瘤を発見し、回盲部癌等の疑いありと診断した。

(三)  そこで梶谷は、右腫瘤を切除することを決意すると共に、当初の腰椎麻酔のみでは麻酔効果を維持できず、全身麻酔の必要ありと判断したので、同日午後一〇時頃岡山大学医学部に麻酔医の派遣方を要請したところ、約一五分後に同大学医学部麻酔科勤務の馬場医師が来院し手術室に入った。

(四)  その頃梶谷は、前記の腫瘤の切除にあたっては相当の出血があると考えたことから、好子に対して輸血を行う必要を認め、初対面で好子の症状等一切知らない馬場医師に対して手術の内容のほか手術の所要時間が約二時間と見込まれることなどごく簡略な説明をしたうえ、全身麻酔並びに輸血の実施方を依頼し、あわせて、好子がピリン体質であるため全身麻酔はマスク吸入の方法によるべき旨を指示した。馬場医師がこれに応じて麻酔を施すと、やがてその効果が現れてきたので、梶谷は手術創の拡大にとりかかった。

(五)  好子の血液型はB型であった。しかし、その頃梶谷外科医院勤務の河田看護婦(当時一九才。その後「秋山」と改姓)から「患者本人や家族の話では、患者の血液型はAB型とのことです。」との報告を受けたことから、梶谷は、直ちに同看護婦に指示して血液センターからAB型の輸血用血液瓶(二〇〇cc入り)三本を取り寄せさせた。

(六)  馬場医師は手術の途中から応援に加わったため好子の血液型や出血量等についてはわからなかったところ、輸血を依頼された梶谷から輸血量を二〇〇ccとするよう指示を受けると共に、「AB型血液の血清で交差試験をやり凝集しなければ、その人の血液型はAB型と言ってよいはずである。」旨の説明を受けた。そこで馬場医師は梶谷の指示に基づき同日午後一一時過ぎ頃から輸血に着手したのであるが、その際同医師は、既にそれ以前において梶谷が好子のABO式血液型の判定をなし、その結果AB型であることが明らかになっているものと思い込んでいた。そしてこの思い込みのままの状態で、同医師は、血液センターから取り寄せた血液瓶に添付されている試験用の血清及び血球浮遊血清をスライドガラスに滴らしたうえ、好子の手術創よりガーゼに浸して取り出した血液を梶谷から受取り、これをそのまま滴下して混合させるという検査を試みたところ、凝集反応を認めなかった。

(七)  梶谷は、馬場医師が、血液型判定用血清や、被検血液を血球と血清部分に分けるために必要な遠心分離機をいずれも使用していないことを知りながら、馬場医師から右のとおり凝集が起こらなかった旨の報告を聞くと直ちに好子の血液型が河田看護婦の報告どおりAB型であると判断し、一方、馬場医師は、約四〇分間にわたり、好子に対し、二〇〇ccの輸血(本件第一回輸血)を実施した。

なお当時、梶谷外科医院には、血液型判定用血清が保管準備されていたし、また遠心分離機も備えられていた。

(八)  梶谷は、これと並行して腫瘤切除のための手術を続行したが、結局その摘除を断念せざるをえないこととなり、下腹部の膿汁を取り除いたうえ手術箇所にドレーン(排液管)を挿入し、腹壁を縫合して手術を終了した。

(九)  第一回輸血直後頃の好子の状況は、同女において自覚症状を訴えることは、全身麻酔下のためもとよりなかったし、客観的にも、馬場医師がその頃行った数回の血圧測定で異常を示さず、その他血圧の下降を中心とするショック症状や手術創からの出血傾向等の外見的な異常は全くと言ってよいほどなかった。

(一〇)  馬場医師は、好子が覚酔したこと、その容態に格別の変化、異常のないことを見届けたうえ、同月二八日午前一時頃同医院を退去した。

(一一)  翌二八日朝梶谷は、好子の病室に立寄った際、同女に特段の異常はなかったが、同女から胆石症の持病がある旨を聞いたため、再度輸血の必要を認め、同日午前九時過ぎ頃、事前にABO式血液型検査や交差適合試験をしないまま、河田看護婦に対して、前夜取り寄せたAB型血液瓶一本分(二〇〇cc)を好子に輸血するよう指示し、これに基づき同看護婦は右血液二〇〇ccの輸血を実施した。

(一二)  更に引き続き、梶谷は、残りの血液瓶一本についても、これを好子に輸血するよう河田看護婦に指示し、同看護婦が二本目の輸血を行った。ところが約四分の一ほど(約五〇cc)を輸血した頃、好子が「寒い。」と異常を訴え始めた。そしてほどなく、好子は激しい全身悪寒、悪心に襲われ、顔面蒼白土色となり、目を据えすざまじい苦悶の形相を示し、うめき声を出して寝台の上で全身ごと大きく震えだし、片山付添婦が布団の上から押えつけたりなどした。

(一三)  かくするうち河田看護婦が急を聞いてかけつけ、直ちに輸血を中止したうえ、梶谷にこの緊急事態の発生を報告した。報告を受けた梶谷は、好子に対し強心剤等の注射を行った。その結果好子の悪心、悪寒、震えの症状は輸血中止後約一五ないし二〇分間で治った。

なおその頃好子には右の異常の一環として発熱が見られ、同日午後三時頃の検温で三八・二度あり、その日の朝夕の体温(三七・六度、三七・四度)と比較し幾分上昇していた。

また同日一一時頃導尿で採取した尿は、多少濃い目ではあったが、しかし見た目にはきれいで、かつ相当多量であった。もっとも尿検査の結果によれば蛋白が(+)で異常があった。

(一四)  その後、梶谷は好子について一二月一日ドレーンの抜去を、同月六日頃抜糸を行い、その頃まで好子の予後は少なくとも見た目には比較的良好に経過していた。

(一五)  ところが右の抜糸の前後頃から、見た目にはきれいになっていた尿が赤色のいわゆる血尿に変わり暫くその状態が続き、また、その頃から、尿量も、回数こそ増加したりしたものの、減少傾向を示すようになった。

また同月七日夜ころから発熱が見られ、九、一〇日及び一三日には八度台の熱にもなったうえ、一五日に下熱したが、同時に黄疸が出始じめ、強くなり、次第に食欲が減退し嘔気嘔吐もみるようになった。

なお同月一〇日に出した肝機能検査の結果では、いずれも肝細胞が壊れたことを示すGOT及びGPTの各検査値がそれぞれ四五九及び四〇六もあり、その正常値(GOTが〇~三四、GPTが〇~二九)に比べ極端に悪い値を示していた。もっとも黄疸の関係を示す総ビリルビン値は一・一mg/dlであり、まだほとんど正常値(〇・二~〇・八mg/dl)に近いところにとどまっていた。

(一六)  そして同月一八日、好子は、知人である岡大病院勤務の医師糸島達也(現岡大病院第一内科講師、以下「糸島医師」という。)の勧めにより、肝臓病等に権威のある岡大病院第一内科に転院した。

(一七)  岡大病院おいて、同月二三日頃までの間に、好子の血液型判定検査及び交差適合試験等が行われた結果、同女の血液型はB型であることが確認され、一方、同女においては嘔気、嘔吐のほか黄疸が増強し、意識の混濁を深めるに至ったので、同月二四日から三回にわたり合計約一万七〇〇〇ccの交換輸血を実施したが、同女は同月三〇日午後六時一三分頃同病院において激症肝炎により死亡した。

なお岡大病院入院後の化学検査の結果は次のとおりであり、GOT、GPT、総ビリルビン値から明らかなとおり肝機能が著明に低下し黄疸が強く、逆に血液尿素窒素値は死亡直前頃に上昇してきただけで、腎機能には障害が少なかったことを示している。

検査種別

GOT

GPT

総ビリルビン

血液尿素窒素

備考

検査日   (正常値)

(一二月)

一〇~二六

四~一九

〇・二六~〇・九五

八~二一

一九日

一〇四五

九三〇

九・九八

一〇

二二日

一八一

二五一

一五・一六

一〇

二四日

六〇

九〇

八・三八

二二

交換輸血開始

二五日

九一

一四〇

一六・九九

二五

二六日

七八

一五五

一九・〇二

二七日

七三

六九

一四・七三

二九日

四三

四四

一四・六九

三七

(一八)  好子は死亡後ほどない同日午後八時半から岡山大学医学部で病理解剖に付されたが、その結果、同女の肝臓には亜急性赤色肝萎縮の、また腎臓には血色素尿性ネフローゼ(下部ネフロンネフローゼ)の各病変が生じていることが明らかになった。

更に好子の死後の腎臓の組織学標本によれば、同女の腎臓の細尿管には、その陳旧度からみて、本件第一、二回輸血時頃に生じたものとみられる黄褐色化したガラス様円柱が認められるほか、赤血球と同色の染色性を示した円柱や赤血球自身の混ずるものがあり、後者の円柱はその新鮮度から判断して岡大病院での交換輸血による溶血に由来したものと考えられた。

3  右2の認定に反する、主要な、当事者の主張及び証拠に対する批判

(一)  好子の血液型がB型であることについて

被告らは、本件二回の輸血時好子の血液型がB型であったという確証はない旨反論し、三つの理由をあげている(請求原因に対する認否二1)。

しかしながら、(1)三上、上野両鑑定が死後の好子の臓器を用いて行った詳細な血液型判定の結果によると、同女の血液型はB型であることが認められる。(2)とりわけ上野鑑定は、好子が前記二2(一七)判示のように岡大病院において死亡の六日前である一二月二四日以降三回にわたり大量のB型血液の交換輸血を受けているため、右大量輸血が死後の臓器による血液型検査の結果に何らかの影響を与えていると考えられなくもない点を考慮し、更に第一内科診療録に貼付されている好子の血痕(交換輸血前の一二月一九日に出血時間測定用紙へ採取されたもの)を用いて吸収試験、解離試験を行い、交換輸血前の同女の血液を検査しているが、その結果によってもB型であることが確認されていることが認められる。(3)第一内科診療録及び糸島証言(第一回)によれば、岡大病院第一内科では、一二月二〇日、好子の血液型がB型であり梶谷において不適合輸血を行ったと判断したが、庇ってこれを表に出さず、一二月二三日交換輸血の実施に踏切るにつき、再度、受持医の糸島医師や森医師らが判定用血清を用いた血液型判定や交差試験を行い、同女の血液型がB型である等の事実を確認し、かつその証拠を第一内科診療録中に保存して、判定に過誤なきよう慎重な配慮をしていることが認められ、その判断には過りの入る余地がほとんど考えられない。(4)三上、上野、遠山各鑑定等によれば、馬場医師の行った交差試験は不十分であって(後記三3(二)参照)凝集反応が出なかったとしても、そのことで好子の血液型がB型であることを否定するものではあり得ないことが認められる。

したがってこれらの諸事実によれば、被告らの主張は到底採用しがたく、梶谷による本件輸血がなされた当時好子の血液型がB型であったことは疑う余地がないものと判断される。

(二)  血色素尿及び尿量減少について

原告は本件輸血の一、二日以後から血色素尿等が現われた旨主張し(請求原因四2)、被告らは逆に一切血色素尿が出たり尿量が減少傾向を示したりしたことはない旨主張し(請求原因に対する認否三2(一))ている。

そしてまず、原告の右主張については、梶谷診療録並びに糸島(第二回)及び三上各証言によれば、一般に不適合輸血による凝集反応、溶血現象により赤血球が壊われて出る血色素尿中には多量の蛋白が含まれているところ、前記二2(一三)判示のごとく本件第二回輸血直後である一一月二八日午前一一時頃の導尿で採取した尿の中には蛋白が(+)であったことが認められるし、これに更に、前記二2(一八)判示のごとく、好子の腎臓の細尿管にはその陳旧度から見て、本件第一、二回の不適合輸血時頃に生じたと見られる黄褐色化した硝子様円柱がつまっていた事実を合わせると、既に本件第一回輸血後半日を経過した前記導尿の頃に早や溶血が生じその血色素中の一部が細尿管外へ出て血色素尿となっていた可能性も疑われるところであり、他方被告らの前記主張については、《証拠省略》中にこれに副う部分がある。

しかしながら

(1) まず原告の右主張について案ずるに、一一月二八日の本件第二回輸血直後尿中に現われた蛋白が血色素尿であったと推認することは、その後、前記二2(一五)判示のごとく、一二月六日頃の抜糸の前後頃になって濃い血色素尿が出始め暫くこれが続いたものとみられる事実に照らすと、その間の間隔があきすぎているので採用しがたい。

(2) 次に被告らの右主張について案ずるに、抜糸前後における尿をみると、《証拠省略》によれば、ア 好子の看護をしていた、看護婦資格を有するベテランの片山付添婦が、右の頃から、きれいになった尿が「番茶のずっと濃いような色」に変ったことを見ており(もっとも同付添婦はそれが血尿であったことは否定する。)、イ 看護の手伝いをしていた千草及び貞らも、抜糸の前後頃「茶色がかった血液の色という感じ」の、発熱時等に出る濃い尿とは全く異なる尿を見ており、ウ 好子を見舞に行ったことのある糸島医師も、その際、付添っていた者らから、尿が赤いことを盛んに訴えられているし、エ 上野鑑定の際、同鑑定人が、第一内科診療録中に添付されている好子の血を採取した一二月一九日付出血時間測定紙を使用し、調べたところ、その血痕中にはB型の血液のみが存在し、もはやAB型の血液は痕跡だにも存しなかったので、右同日以前に、不適合輸血によって輸血された約四五〇ccの血液が血管内・外溶血で排除されていることが窺われるし、オ 好子の腎臓の細尿管には、前記二2(一八)判示のごとくその陳旧度からみて本件二回の不適合輸血時に生じたと見られる黄褐色化した硝子様円柱がつまっており、そのことから、溶血によって生じた血色素中の一部が細尿管外へ血色素尿となって出た可能性があり、また尿量も減少する可能性があることが予測されるし、カ 一二月六日の抜糸の前後頃になって見た目に血色素尿が現われるのは、不適合輸血における反応例の典型例よりはかなり遅れているが、この程度の遅れは不適合輸血の予後を左右する数種の各要素の組み合わせいかんによって生ずるところであり、不自然ではないとされているし、キ 梶谷外科医院の診療録は記載が簡単すぎる。以上の諸事実が認められる。

したがってこれらの諸事実によれば、被告らの右主張及びこれに副う各証拠はいずれも採用しがたいところであり、抜糸前後頃から暫くの間血色素尿が見た目にも明白に現われ、また尿量も多少減少傾向を示していたものと判断するのが相当である。

(三)  発熱及びショック状態について

右の点についても当事者双方の主張は鋭く対立している(請求原因四2、請求原因に対する認否三2(一))。

そこでまず発熱の有無について述べるに、《証拠省略》記載部分のうち、右輸血直後好子の体温が三九・五度ほどにまで上ったという点は梶谷診療録及び同添付の検温表に照らすとそのまま信用できないが、右梶谷診療録添付の検温帳に記帳された本件第二回輸血の当日午後三時頃の好子の体温が三八・二度であり、その日の朝夕の各体温(三七・六度、三七・四度)と比較して幾分上昇していることが認められ、これに右《証拠省略》記載部分を加えてみると、右輸血直後少なくとも三八・二度程度の発熱があったものと推認するのが相当である。

次に原告主張のように好子がショック状態に陥ったかどうかの点について述べるに、梶谷診療録によれば、右輸血直後の好子の血圧は同女の平常値を維持していたことが認められ、他に前記二2(一二)の認定を超えるショック状態に陥ったことを認めるに足る証拠はない。

したがって、右輸血直後好子については、前記二2(一二)程度の悪心、悪寒、震え、発熱の各症状が現われたものと認定するのが相当である。

(四)  好子が激症肝炎(亜急性赤色肝萎縮)によって死亡したことについて

上野鑑定等では、激症肝炎の存在を全く否定し、同女の肝臓には、数年以上の経過をたどって現在に至った慢性の変化である胆汁性肝硬変の像があり、その昂進による肝機能不全によって同女が死亡した旨鑑定している。

しかしながら、松倉、三上、奥平及び遠山各鑑定等並びに糸島証言(第一回)は、こぞって上野鑑定等の結論を否定し、いずれも死因を臨床診断上の激症肝炎(病理解剖所見上は亜急性赤色肝萎縮)によるとしている(もっともこれらの鑑定等や糸島証言も激症肝炎発症の原因を何と見るかについては、見方が区区に分かれている。)し、右各鑑定等及び証言並びに小川解剖所見によって認められる、好子の肝臓の病理所見、GOT・GPT値が急激な高数値を示していたこと、通常の肝硬変で多くの場合認められる食道の静脈瘤や大きな脾腫の存在が好子の場合にはなかったことなどの諸事情を総合して考慮すると、上野鑑定等の右結論はにわかには採用することができないところである。

(五)  なお好子が腎障害によって直接死亡したものでないことについては、三上、松倉、奥平、上野及び遠山各鑑定等、小川解剖所見等並びに糸島証言(第一回)のいずれもがこれを肯認するところであり、右松倉鑑定が述べるごとく、好子の「腎臓の組織変化は、主として髄質部における尿細管の範囲に、しかもおよそ中等度程度のものとして認められる範囲にあり、糸球体を含む皮質部、上部曲細尿管には軽度の変化しか認められず、下部細尿管内円柱形成も多数とはいえ未だ高度血栓形成の像を欠き、間質の浮腫も先づ中等度に止まるものであり、全体としてそれほど高度に腎機能を荒癈せしめているという所見には未だ達しておらぬ」こと、第一内科診療録によれば、腎機能不全の指標として最も重要な血中尿素窒素値が、前記二2(一七)判示のごとく正常ないし死亡直前でもさほど高い値を示していないことなどから見て右結論が正しいことは明らかである。

4  《証拠判断省略》

三  本件輸血に関する梶谷の不完全履行

原告は、梶谷において、適正な血液型判定検査等をなし、不適合輸血を行って好子に被害を負わせることがないようにすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠って不適合輸血をなしてしまった債務不履行がある旨主張し(請求原因三)、被告らはこれを争うので、以下、まず1において、輸血に際して医師の守るべき注意義務について、次に2において、梶谷の右義務違反行為の存在について、最後に3において、右判断に反する被告らの主張について、順次判断を示すこととする。

1  輸血に際して梶谷の守るべき注意義務について

医師は、患者に対し輸血を行う場合において、もし不適合輸血を行えば患者に死亡等の重大な被害を与えかねないのであるから、事前に供給(輸血)血液と患者の血液との適合性を判定し、不適合輸血をしないように万全の注意を払うべき義務を負うことは今さら言うまでもないことである。

ところで右の適合性の判定方法に関しては、遠山鑑定等によれば、既に、昭和二七年六月二三日付厚生省告示第一三八号において、輸血に関し医師又は、歯科医師の準拠すべき基準として、その七において「血液型は給血者及び受血者について血液型判定用血清を使用して正確に検査を行うと共に、給血者と受血者との血液各少量を混じて凝集反応を調べること。」と定められていることが認められる。そこでこれを本件に当てはめるに、本件の場合にあっては、供給血液は血液センターにおいて事前に厳格慎重な検査を終えていたのであるから、供給血液に関する血液型の判定を行う必要はなかったものと認められるので、その余の点である好子の血液につきABO式血液型を判定すると共に交差適合試験を実施すべき点が残っていたところであり、医師たる梶谷にはそれらを行うことによって不適合輸血を回避すべき注意義務があったことは明らかである。

そして、三上及び遠山各鑑定等によれば、ABO式血液型の判定検査においては、厚生大臣の定める基準に適合した血液型判定用血清(抗A及び抗B血清)並びに被検血液の食塩水浮遊血球を用いてその凝集反応を調べるという手法によるべきこと、なお、一般臨床医の場合には、血液型判定用血清に被検血液をそのまま各別に加えて凝集反応により血液型を判定する「全血法」を用いることもあるが、この方法によるときは血液型を誤判するおそれが少なくないため、必ず交差適合試験を併用すべきこと、そしてその交差適合試験については、少なくとも、患者血液及び供給血液をそれぞれ血球と血清部分に分けたうえ、供給血液の血球と患者血液の血清及びその逆の組合せの双方につき凝集反応の有無を調べ、いずれも陰性であることを確認する必要のあることが認められ、したがって梶谷は右判定検査を行うべき義務を負っていたものである。

2  梶谷の不完全履行の存否について

梶谷は、前記二2(五)ないし(七)及び(一一)、(一二)判示のとおり、好子の手術に立会っていた看護婦が好子の家族らから聴取したところに基づき、患者の血液型がAB型であるとの報告を受けるや、血液センターから同型の輸血用血液を取り寄せ、これを本来B型である好子に対し輸血したものであるところ、本件二回の輸血のいずれに際しても、梶谷外科医院に前記血液型判定用血清や遠心分離機を備えていたにもかかわらず、右判定用血清を用いて好子の血液型を判定するという措置を全く講じて(あるいは講じさせて)いないばかりでなく、右血液型の判定に代えて血液型の適合性を確認するために相当な手段も尽されていないのであるから、輸血に際し医師として守るべき注意義務を怠り、本件不適合輸血の不完全履行を行ったものというべきである。

3  右判示に反する被告らの主張に対する批判

(一)  被告らは、本件第一回輸血時においては、梶谷から輸血をまかされていた馬場医師が独立の医師の資格において血液型適合性の判定をすべきものであり、梶谷は、執刀中で手術野から目を離すことができなかったのであるから、右判定義務自体を負っていなかったものである旨主張する。

しかしながら、前記二2(三)及び(四)判示のごとく、馬場医師は、本件手術当日梶谷の依頼に応じて麻酔医として急遽派遣され、いきなり同医院の手術室に入り、好子の手術の途中から初対面の梶谷の執刀の下に参加したものであり、好子の症状及びそれに対する処置等については、その場で梶谷から手術の内容や所要見込時間等のごく簡略な説明を受けただけで、同女の手術前の状態を観察等する機会がなかったのはもとより、同女の血液型や出血量なども知らないまま、全身麻酔と輸血の実施方を頼まれ不慣れな周囲の状況の下に全身麻酔を施していたものであること、一方、同二2(二)ないし(六)判示のごとく、梶谷は主治医として終始好子に対する手術を統括管理すべき立場にあったもので、自らの判断に基づいて血液センターからAB型血液を取り寄せ、輸血すべき血液の量を馬場医師に指示しているほか、血液型の判定についても独自の見解を同医師に説示するなどの行動に出ていること、更に、馬場医師は、既に好子の血液型がAB型と判定されているものと思い込んでいたが、当時の状況からみて右誤信も無理からぬものであったと考えられること等の諸事情があり、これらを総合すると、少なくとも本件第一回輸血に関し医師として守るべき注意義務の履行については、梶谷が第一次的、主位的に責任を負うべき立場にあったものというべきであり、馬場医師に対する信頼を理由にその責任を免がれることは許されないものと解するのが相当である。

なお《証拠省略》によれば、梶谷は、本件第一回輸血前馬場医師に対し好子の血液型がわからない旨告げてあった旨弁疎していることが認められるが、仮にそうだとしても、前記二2(七)判示のごとく、梶谷は、馬場医師が血液型判定用血清や遠心分離機を使っていないことを知っていたのであるから、治療行為の主宰者として、同医師に対し、適正な血液型適合検査のために必要な処置を誤って省略しないよう注意すべき業務上の注意義務があるのに、単に馬場が資格を有する医師であるというだけで漫然とこれを怠ったものであるから、梶谷に第一回輸血に関し債務不履行があることには変りがない。

(二)  次に被告らは、仮に馬場医師が梶谷の履行補助者であったとしても、馬場医師は交差試験を行っており、これは輸血の適合性につき最低限度ながら合格しているものであるから、梶谷には不完全履行責任がない旨主張しており、本件輸血に先立ち、馬場医師が輸血用血液瓶に添付されている試験用の血清及び血球浮遊血清と好子の血液とを各混合させ、凝集反応の有無を確かめるという手段に出たことは前記二2(六)判示のとおりである。

しかしながら、三上鑑定等によれば、輸血用血液瓶に添付されている試験用血液は、もともとABO式血液型の判定に用いられるものではなく、ABO式以外のRh式、K式、MN式等の血液型の不適合によって生ずる凝集反応の有無を検査するためのものであることが認められるのみならず、前記三1判示のごとく、血液型の適合性を確認するために行われる交差適合試験においては、供給血液及び患者の血液をそれぞれ血球と血清部分に分けたうえ、供給血液の血球と患者の血液の血清及びその逆の組合せの双方について凝集反応の有無を調べることが必要であるにもかかわらず、前記二2(六)判示のごとく、馬場医師は、好子の手術創からガーゼに浸して採取した全血を、備付の遠心分離機で血球と血清分に分けて使用しようとせず、単にそのまま滴下するという方法をとったに過ぎないものであり、遠山及び三上各鑑定の記述に徴しても明らかなように、馬場医師の行った検査方法では血液型の不適合を発見するについて誤認を生じ易く、到底交差適合試験と呼ぶに値いしないものというべきであり被告らの右主張は明らかに失当である。

(三)  更に被告らは、本件第二回輸血時においては、前夜の第一回輸血に対し好子が不適合輸血特有の異常反応を示さなかったのであるから、一緒に取り寄せた他のAB型血液は好子の血液に適合しているものと確認されたに等しく、その翌日第二回の輸血を実施するにあたっては改めて適合性の検査を行う義務は存しない旨主張する。そして第一回輸血時好子に外観上不適合輸血を窺わせるような異常が見られなかったことは前記二2(九)判示のとおりである。

しかしながら、本件第一回輸血に際しては適式な血液型の判定を全く行っていないばかりでなく、極めて杜撰な凝集試験を実施したのみであることは前記二2(五)ないし(七)及び三2及び3(二)判示のとおりであり、しかも、遠山鑑定等によると、本件第一回輸血のごとく全身麻酔下で施行された場合には、患者が自覚症状を訴えることができないし、また自律神経も一部ブロックされるので反応が軽減されることがあり得、不適合輸血の発見が困難であることが認められるのであるから、右のとおり第一回輸血時馬場が正規の手法で血液型適合検査をしていないという状況の下では、未だかかる場合であるかも知れないことを予測し、改めて正規の血液型適合検査をなすべきは当然のことであって、これに反する被告らの主張は採用しがたいところである。

四  梶谷の前記三2判示の不完全履行によって生じた好子の症状ないし病変

原告は梶谷の不適合輸血の結果、好子に対し、本件第二回輸血直後の悪感、戦慄、ショック状態、発熱等の症状や右輸血一、二日後に強い溶血作用とその徴表である血色素尿、欠尿・無尿の症状をそれぞれ生じさせ、更に右溶血作用により肝臓障害(黄疸)や腎臓に血色素尿性ネフローゼの病変を生じさせ、これらが互に補強し合い、好子がたまたま肝臓が弱かったことや抗生物質の肝毒性も手伝って、遂に肝臓に亜急性赤色肝萎縮(激症肝炎)を生じさせ好子を死亡せしめたものである旨主張し(請求原因四2)、被告らはこれを争う。ところで本件二回の輸血後好子に生じた症状ないし病変は前記二2(九)、(一二)ないし(一五)、(一七)及び(一八)判示のとおりであるから、以下においては、本件不適合輸血と右判示の各症状ないし病変との間に相当因果関係が存するか否かについて案ずることとし、まず1において、右判断の主要な目安となる、不適合輸血の一般的臨床症状について述べ、続いて2において、前記判示の好子の症状・病変中本件不適合輸血と相当因果関係があると認められる部分を拾い、3において、右因果関係がないとする残余のものについて触れ、最後に4において、本件不適合輸血と好子の死亡への影響について言及することとする。

1  不適合輸血の一般的臨床症状等

不適合輸血の一般的臨床症状、発生機序の概要は当事者間に争いがないが、遠山及び上野各鑑定に基づき重ねてここに記載する。

(1)  血液型不適合輸血があると、数分ないし数時間以内(急性期)に不快感、胸部圧迫感、胸痛、背痛、呼吸困難、チアノーゼ、腹痛、悪心、嘔吐、下痢、腰痛、悪寒、戦慄、発熱、発疹、血圧上昇(初期)、血圧下降を中心とするショック症状、更に出血傾向などの全部又は一部が起こり、その四分の一程度が死亡する(早期死)。ABO式血液型不適合輸血の大多数は右の血管内溶血の反応様式をとり、このような激しい副作用症状を呈する。これらは血液凝集反応、溶血現象等生体の防衛機構により生じるものである。

(2)  しかし大部分の者はこの時期を切り抜け慢性期に移行する。この段階では血管内溶血により患者の血漿中に遊離ヘモグロビンが出現し、その濃度が高くなるとブドウ酒様の血色素を尿中に排出し、いわゆる血色素尿(血尿)が出るようになり、また右ヘモグロビンの影響等によって腎糸球体のろ過率が低下し、細尿管上皮の変性障害から細尿管上皮の壊死に陥り、この過程で患者の体内には、尿素、窒素、カリウム、余剰水分等の異常蓄積が認められ、その結果尿毒症が発現し、つまるところ、腎不全を中心とする全身障害により患者の五分の一程度が死亡する(晩期死)。しかしその余のこれらの症例では排尿が現われ尿毒症状より離脱し治癒に至る。この利尿は腎の機能の回復を示すものであって、不適合輸血から七~一〇日くらいに現われることが多い。

(3)  しかし血液型不適合輸血の反応様式は多彩である。

例えば

① 遅発性溶血性輸血副作用の症例。ABO式血液型不適合輸血では比較的稀ではあるが、血液型不適合赤血球が輸血された時、患者血清中のそれに対応する抗体の量が直ちに輸血血球を破壊するには少なすぎるなどの場合には輸血が免疫応答を刺激して輸血から数日後に抗体濃度の急速な上昇が起こり、輸血された赤血球がある時点で急速に破壊されることがある。この遅発性の反応は、大部分が三~五日目頃現われるが、時として七~一〇日後頃に発症する症例もある。この症例の特色は、一般にその症状が軽く、死亡するようなことはなく、また乏尿、無尿で尿毒症に至った症例も見ない。

② 血管外溶血を主とする溶血性副作用の症例。この症例では不適合輸血のため大量の輸血赤血球が破壊され、それが肝臓その他の細胞内皮系で処理されることにより、血清ビリルビン濃度が著明に上昇し、黄疸を呈する。この血清ビリルビン濃度が頂上に達するのは、多くは数日後であり、時としては輸血後一〇日目ぐらいになるときもある。この腎障害に乏しい血管外溶血を主たる反応様式とする症例では、予後が一般に良好で死亡例は見ない。

(4)  以上のような不適合輸血の予後は、患者によってその現われ方が一律ではなく、①血液型の種類、②患者血清中の抗体(凝集素、溶血素)の種類と力価、③輸血赤血球抗原の抗原基の数、④患者血清中の補体活性力、⑤患者の感受性、⑥患者の体力、特に腎臓や肝臓の機能等の要因に大きく影響されるものである。

以上のとおり指摘されている。

2  本件不適合輸血と相当因果関係の認められる好子の症状及び病変について

(一)  輸血直後の悪心、悪感、震え、発熱(前記二2(一二)及び(一三))との因果関係

(1) これらの症状が不適合輸血によって現われる一般的な臨床症状にそのまま適合することは前記四1判示のとおりであり、上野鑑定は「一一月二七日及び二八日の両日に行われた異型輸血は二八日の輸血時かなり激甚な(といっても異型輸血時のショックとしては普通程度)ショック症状を発生せしめた」旨考按しており、奥平鑑定も本件不適合輸血とこれらの症状との間の関係は「医学常識上諒解でき、かつ、両者の関係が直線的であることから、因果関係があるものと考える。」旨断定しているところであり、三上鑑定及び糸島証言(第一回)も同旨である。これらの諸事情に照らせば、好子の患った症状は本件不適合輸血によって生じたものとみるのが相当であり、したがって好子は、手術直後の一番安静・体力の回復を要する大切な時期にその妨げとなるこれらの被害を受けたことになる。

(2) なお被告らは不適合輸血との因果関係の存在を否定し、これらの症状は治療行為の過程で生ずる副作用であったにすぎない旨主張し、遠山鑑定を引用する(請求原因に対する認否三2(二))。そして遠山鑑定によると、輸血後にこれらの症状が現われたことについては不適合輸血以外に、発熱反応、アレルギー性反応その他数種の原因を考えることができる旨指摘されているところであり、したがって、自然科学の領域で見るならば、本件においても、不適合輸血以外の原因が競合して前記の各症状を招いたものと認めうる余地のあることは否定できない。

しかしながら医師梶谷が二回の不適合輸血という重大な医療過誤を行い、しかも、その直後に好子に不適合輸血によって一般的・典型的に現われる右症状が出現していのであるから、法的因果関係を問う本件訴訟の場においては、不適合輸血以外の前記諸原因の存在していた特別の事情が立証されるならば格別、さもなくば、前記諸原因の存在ないし競合を認めることはできないものであり、本件全証拠によるも右特別の事情を認めるに足るものはない。したがって被告らの主張は採用しがたい。

(3) 免疫不全症の存否について

被告らは、好子には免疫不全症があり、そもそも不適合輸血があっても抗原抗体反応が生じない体質であったから、仮に梶谷が不適合輸血を行ったとしてもそれに対応する症状ないし病変を起こすはずがない旨主張し、本件不適合輸血と前記2(一)の症状をはじめとする好子の病状・病変のすべてについて因果関係の存否を否定している(請求原因に対する認否三2(五))。そこで便宜ここでこの点についても述べることとする。

さて、被告らの右主張は、好子の病理解剖に際し、胸腺が発見されず、同女が胸腺を全く欠いていたと認めることができるという判断を前提とするものであり、右の判断は、小川解剖所見の記載中に「胸腺・形(一)」とあることに基づいているのであるが、しかしながら、《証拠省略》によれば、成人の場合胸腺は脂肪組織に置き変わり、解剖に際して肉眼では発見されないのが普通であって、所論指摘の好子の胸腺に関する記載は免疫不全症を疑う根拠にはならないこと、好子の血液検査では免疫グロブリンが正常以上あったこと、生前の好子にピリン過敏症が認められたのは、免疫機能が少なくとも一部ははっきりと働いていたことを示すもので、好子が免疫不全であった可能性はこの点から見てもかなり低くなること、胸腺低形成症に限らず、一般に先天性免疫不全症は、乳幼児が繰り返し感染症に冒される場合に疑われる疾患群であって、そのような障害があれば低年齢で死亡することが多く、好子のように日頃健康と目され、六〇歳過ぎまで著しい病歴がなく生存し得た者が、先天性免疫不全症を有していた可能性は、医学の常識としてほとんどあり得ないことなどの諸事情が認められるのであって、結局好子には所論のような先天性免疫不全症はなかったと考えるのが相当であり、被告らの右主張は採用しがたい。

(二)  血色素尿及び減尿傾向(前記二2(一五))との因果関係

血色素尿や乏尿は、前記四1判示のごとく、不適合輸血の結果血管内溶血の反応様式をとると起こる一般的臨床症状であり、また好子の場合にはその出現時期が標準的な症例に比べ遅れているが、しかしこの点も、右判示のとおり、患者側や輸血血液側の諸要因により生ずる予後の差の範囲内に納まっているところである。そして更に、前同所判示のごとくABO式血液型不適合輸血の大多数は血管内溶血の反応様式をとるところ、前記二2(一八)判示のごとく好子の腎臓の細尿管にもその陳旧度からみて本件第一、二回輸血時頃に生じたものとみられる黄褐色化したガラス様円柱がつまっており、他方前記二3(二)エ判示のごとく、好子の血液中に輸血されたAB型の血液は一二月一九日段階では完全に排除されているのであるから、右同日以前である同月六日の抜糸前後頃から、溶血現象によって生じた血色素が腎臓を通過して血色素尿等となったとしても不思議ではない。その他に前記二2(一)判示の、好子の年齢、肝臓の機能が強くはなかったことなど不適合輸血の予後に影響を与えた可能性のある諸事情をも加味して綜合判断すると、好子の血色素尿等の原因については、他の特段の原因を窺わせる事情が立証されていない本件にあっては、本件不適合輸血という重大な過誤によって生じたものとみるのが法的因果関係の見方としては相当であると考える。

(三)  血色素尿性ネフローゼ(前記二2(一八))との因果関係

(1) 血管内溶血による腎障害は前記四1判示のとおりABO式血液型不適合輸血によって起こる一般的臨床症状の主要部分の一部を占めるものであり、三上、松倉、奥平、上野各鑑定等及び甲第一五号証(小川勝士の証言記載)並びに糸島証言(第一回)もすべて本件不適合輸血と右血色素性ネフローゼとの間に、その全部にか一部にかはともかく、因果関係が存することを肯認している(後(2)参照)ところであり、前記二2(一八)及び四2(二)判示のごとく、好子の腎臓の細尿管に黄褐色化したガラス様円柱が存在したこと及び好子が血色素尿を排泄したことなどの事実に照らしても、その間に因果関係が存在することは明白である。

(2) 被告らは、右の因果関係の存在を争い、その理由として、本件不適合輸血後も血尿、乏尿、無尿等の症状が現われていないばかりでなく、血液中の尿素、窒素値等も正常値を保ち尿毒症の事実もないこと等を挙げ、本件血色素尿性ネフローゼは岡大病院で実施した交換輸血によって生じたものである旨主張する(請求原因に対する認否三2(四))。

しかしながら、

ア 本件不適合輸血後血色素尿が出たことは既に再三判示したところであり、尿量減少傾向も否定しがたく(以上前記二2(一五))、

イ 本件では、松倉鑑定も指摘しているように、不適合輸血障害の著しい時に現われる血清カリウム、尿素、窒素の上昇や血尿、血色素尿が認められないとしても、そのことは、不適合輸血による腎障害が臨床上特に患者の病状経過から取り出して指摘しうる程顕著なものではなかった事実を示すにとどまり、更に進んで、不適合輸血と血色素尿性ネフローゼとの因果関係を否定するまでの根拠とはなしえないと解するのが相当であり、

ウ 岡大病院での交換輸血のみに原因するものか否かの点について見ても、①前記上野鑑定によれば、血色素尿性ネフローゼの原因の第一は本件不適合輸血であり、所論の交換輸血はこれに対し加乗的に作用したものと結論づけていること、②同松倉鑑定でも右病変の原因は「明らかに主として不適合輸血による腎障害像と見るべきである」としてその因果関係を肯定し、なお、大量の交換輸血や肝臓萎縮による肝機能障害もあわせて右病変の増強に関与した可能性があるとしていること、③同奥平鑑定においても、右病変については、本件不適合輸血が主因ではないが、その「引き金的要因となる可能性」を認め、その他、岡大病院で行われた大量の輸液や交換輸血、好子にみられた穿孔性腹膜炎、消化管出血あるいは急性肝萎縮症等の要因が競合したものとの見解がとられていること、④好子の遺体の病理解剖にあたった前記小川勝士教授も、異型輸血が右腎病変の代表的な原因である可能性を肯定し、なお、岡大病院での交換輸血、好子に見られる肝腎症候群等によって惹起された可能性も否定できない旨証言しているのであって、これら鑑定結果等を総合すれば岡大病院における交換輸血のみがその原因であるとする被告らの主張が失当であることも明らかである。

したがって被告らの右主張は採用しがたい。

(3) そこで右血色素尿性ネフローゼに対する本件不適合輸血の寄与度について案ずるに、この点に関する前記上野、松倉、奥平各鑑定及び同小川勝士教授の証言の要約は既に前記(2)ウの①ないし④判示のとおりであり、これらはいずれも好子のホルマリン漬けの内臓又はその標本にあたって調査したものであるところ、右上野、奥平両鑑定等によればホルマリン漬けの保存臓器については、日時の経過と共にその染色性が悪くなりヘモグロビンの識別が著しく困難になることが窺われるところであることを考慮すると、初期に実施された右小川解剖所見及び上野、松倉各鑑定の結果を重視し、右血色素尿性ネフローゼの原因の第一は本件不適合輸血であり、これに交換輸血や肝臓萎縮による肝機能障害等の要因が最終段階で加乗的に作用したものとみるのが相当であろう。

3  本件不適合輸血と相当因果関係の認められない好子の症状及び病変について

(一)  好子の死因としての亜急性赤色肝萎縮(激症肝炎)との因果関係

原告は、本件不適合輸血によって起こった溶血作用により、好子に顕著な黄疸を発現させたまたま丈夫でなかった同女の肝臓に肝障害を強く起こさせると共に、腎臓に血色素尿性ネフローゼを生じさせ、これらの相互作用や投与された抗生物質の毒性が重なって肝臓に亜急性赤色肝萎縮を起こさせ、好子を死亡させた旨主張し、三上鑑定等及び三上証言も死因は肝臓における亜急性肝萎縮であるとしたうえで、腎臓も「肥大し、血色素尿性ネフローゼの像を示し、下位細尿管に多数の血色素円柱が存在して閉錯状態を示している。これは本件被害者において極めて強い溶血のあった証左である。而してかかる溶血の点から思考すると、本件における著明な黄疸の発生は溶血の結果と考えざるを得ず、肝臓の病変も溶血性黄疸の結果と思考される。」とし、本件不適合輸血と好子の右死因との間に因果関係を認めている。

しかしながら、

(1) 松倉、奥平、上野及び遠山各鑑定等並びに糸島証言(第一回)はいずれも本件不適合輸血と好子の死因としての亜急性赤色肝萎縮(臨床所見上は激症肝炎。なお上野鑑定でも溶血性黄疸との関係において触れている。)との直接の因果関係を明白に否定している(ただし、遠山鑑定では因果関係を全面的に否定している。)。更に前記二2各判示のごとき本件不適合輸血の時期・輸血量・その後の経過、本件血色素尿の発現時期・程度・期間・同黄疸の発症時期・程度・期間及び右各鑑定によって認められるこれらの詳細からみれば、前記四1判示に示した不適合輸血の一般的臨床症状と一致するところがなく、右上野(四六~四八頁)及び遠山各鑑定並びに糸島証言(第一回)らが具体的事由を挙げて述べているごとく、本件肝障害の発症の遅れや激しさを医学的に説明することもできないものと考えられる。したがってこれらの点に照らしてみると前記三上鑑定等は未だ措信しがたく、その他に原告の前記主張を認めるに足る証拠はない。

そこで本件不適合輸血と好子の死因としての亜急性赤色肝萎縮との間には相当因果関係を認めることはできない。

(2) なお付言するに、右各鑑定及び証言は、いずれも当裁判所の事実認定と異なり、一二月六日頃からの血色素尿等の出現を前提としていないものであるが、仮に当裁判所と同様右血色素尿等の存在を認めたとしても、同各鑑定及び証言が前記(1)判示の結論を変えるものとは考えられない。つまり右血色素尿等が存在したとしても、前記二2(一八)及び3(四)判示に示したごとく好子の直接の死因が亜急性赤色肝萎縮にあったことには変りがないし、前記四1及び二2(一七)判示によれば、不適合輸血による一般的臨床症状(特に血管外溶血を主とする溶血性副作用の症例)と比べ、本件二回の輸血では、輸血後血清ビリルビン濃度が頂上に達するまでにあまりにも日数がかかりすぎている(一三日目の一二月一〇日に総ビリルビン値が一・一mg/dl)し、その他右(1)判示に要約した各事実に照らすと右血清ビリルビン濃度の遅れを説明できそうにもない。以上の諸事情があるからである。

4  本件不適合輸血によって発症した血色素尿性ネフローゼ(前記四2(三)(3))等が好子の死亡に及ぼした影響

前記松倉、奥平及び上野各鑑定等及び糸島証言(第一回)によれば、これらの各鑑定等は、いずれも本件不適合輸血と好子の死因との間の直接の因果関係を否定はするものの、本件不適合輸血が、血色素性ネフローゼの発症を介し、あるいは溶血した血色素の毒性を通じて亜急性赤色肝萎縮に何らかの影響を与えた事実があることまでをも否定するものではなく、当裁判所も右判断を相当と考える。

もっともこれらの各鑑定等も指摘するとおり、本件不適合輸血が好子の死亡に与えた引き金的あるいは間接的な影響力はもとよりさほど大きなものとは考えられないし、かつ、これをその寄与割合として取り出すことは、法的次元の判断であることを考慮しても、証拠上不可能であると考える。それは前記各鑑定等によって明らかなごとく、そもそも好子の直接の死因たる亜急性赤色肝萎縮の発病原因さえ、フローセン麻酔の副作用、ヴィールスによる血清肝炎等の疑いが挙げられこれを具体的に推認することが困難な状態であるから、まして間接的な諸原因を拾い出し、そのうちの一つである不適合輸血の寄与割合を把握することは、例えば松倉鑑定が「結局本件では、(1)死亡者小野好子が手術を受けた時点において既に穿孔していた穿孔性亜急性虫垂炎及びそれによる腹膜炎の関係、(2)その後の治療経過中のABO式不適合輸血の関係、(3)フローセン麻酔による肝臓障害の関係、並びに、(4)既往一〇年来の慢性胆嚢炎、胆石症、胆管狭窄及びそれに伴う潜在性肝臓障害の関係」等(当裁判所加筆)「が相互に関連して複雑な病像を呈したものと考えられるものであって、単一に「血液型不適合輸血」のみが、あるいはフローセン麻酔の影響のみが、その病状経過並びに死因に直結するとは考え難いところである。ということは、本件の臨床上の症状経過にしろ、また解剖的並びに組織学的検査所見にしろ、それらは、主としてある項目に関係すると共に他の項目の影響を否定し得ず、しかもそれら項目に当たる原因ないし誘因の分担度を明確に分別することが臨床上にも、病理解剖検査上にも極めて困難であり、むしろ不可能である、ということを意味している。つまりこのようなのが、重症患者の生体内部諸変化の実相なのである。」と指摘するごとく、至難なことであるからである。

五  不可抗力の抗弁

被告らは、馬場が二回の交差試験を行っても不適合輸血を窺わせる異常がなかった等の事情があるので、仮に梶谷が不適合輸血を行ったとしても不可抗力であって責任はない旨抗弁するが、右交差試験が不適合輸血の検査として不十分であったことについては先に前記三3(二)判示において示したとおりであり、その他に不可抗力の抗弁を認めるに足る事情を認定できる証拠はない。

六  損害

1  以上のとおり、梶谷は、前記一判示の準委任契約上の債務につき、同三2判示の不完全履行をなし、その結果好子に対し同四2(一)ないし(三)判示の各被害と、同四4判示の影響を与えたので、これらによって被った好子らの以下の損害につき、これを賠償すべき責任を負う。

以下2において、認容するところを判示し、3において、認容しないところについて判断し、4において、右2認容の損害賠償請求権の相続及び承継について触れたうえ、5において、結論を述べることとする。

2  認容する損害及びその額

(一)  好子の慰藉料

既に判示した諸事実並びに《証拠省略》を総合すれば次のとおり認定判断をする。

即ち

梶谷の犯した本件ABO式血液型不適合輸血は、梶谷の医師としての基本的知識の不勉強、不注意等に起因する初歩的な、そして患者の死をも招きかねない極めて危険かつ重大な、あってはならない医療過誤である。

好子は、右不適合輸血によって、直接落命したものではないが、手術後ほどない一番安静と体力の温存・回復を要する大切な時期に約二〇分ほどにわたり、悪心、悪感、発熱や、目を据えすざまじい苦悶の形相を呈して寝台上で全身ごと大きく震えだす等の激しい苦痛(ただしABO式血液型不適合輸血としては中程度)に襲われ、その後も相当量の血色素尿が出たし、死亡時には溶血に伴う血色素尿性ネフローゼの病変を残している。更に本件不適合輸血によって生じた右血色素尿性ネフローゼや溶血毒等の影響力が、好子の直接の死因である激症肝炎(亜急性赤色肝萎縮)の発症、悪化に引き金や背景的事情として働いたことも、その程度は軽度のものであろうが、無視し得ないところである。

このような重大を医療過誤に対し、梶谷が好子やその親族に対しとった態度は、誠に遺憾である。梶谷が、本件不適合輸血と因果関係のない好子の死亡をも含めて刑事訴追され報道機関に取り上げられたため、自分の持てる医学上の知識・能力を傾注してこれに防戦したことはもとより当然のことであり、また被害者側において必要以上に梶谷を困惑させた点もないわけではないし、また医師といえども人間であり過誤が不可避的であることにも十分考慮を示すとしても、更に検察官が梶谷の本件事故に関する刑事々件(当庁昭和四六年(わ)第四八五号事件)の冒頭陳述書中において、情状として、「昭和四五年三月二日、岡山市医師会は、被告人を呼んで事情を聴取した際、被告人は「小坂内科が異型輸血を自分でなく直接家人に知らせたことは遺憾である。」旨述べ、事を医師の間で適当に処理すればよかったと窺える発言をした。」旨記述する点も、その裏付け証拠の関係上不問にするとしても、梶谷は、好子やその親族に慰藉の措置をせず、例えば第一内科の診療録や三上、松倉及び上野各鑑定によってもはや自分が不適合輸血の過誤を犯した可能性が極めて大きいことが明らかになり、かつそれを知り得るようになってからさえ、未だにこれを否定し、馬場医師の全面過失にしようとしたりなどして慰藉の努力を敢えてせず、当初受けた岡山医師会からの慰藉勧告にも応じていない。このような梶谷の態度は、好子やその親族の感情を必要以上に刺激したことは見やすいところである。かかる梶谷の態度のために好子やその親族の受けた苦痛と無念さははかり知れないものがあり、他に、死亡後も好子の脳を除く他のほとんどの内臓がポリバケツに入れられ、長年にわたり刑事裁判の鑑定の資料に供せられていることなどの苦悩も手伝って、既に二〇年近くの歳月の流れた現時点においても、その悲しみはおさまるところを知らない。

したがってこれらの諸事情に、本件事故後長年月の間に変動した慰藉料に対する考え方や、経済事情の変動等の諸般の事情を総合して、好子の当時の慰藉料を評価すると、四〇〇万円をもって相当と考える。

(二)  原告・千草及び貞の負担した弁護士費用

本件事案の性質、事件の経過、認容額等に鑑みると、賠償を求め得る弁護士費用は、原告において一四万円、千草及び貞において各一三万円をもって相当とする。

3  原告主張のその余の損害項目に対する判断

(一)  好子の逸失利益六〇〇万円について

原告は、好子が本件不適合輸血のため入院し、かつ死亡したことを前提に、入院以降の逸失利益を請求しているが、しかしながら第一内科及び梶谷各診療録並びに糸島証言(第一回)によれば、好子は、本件不適合輸血と関係なく、その頃疾病により入院を要したことが認められるし、また前記四3(一)判示のごとく、本件不適合輸血により死亡したものとも認められないので、入院及び死亡を前提とする逸失利益を本件不適合輸血による損害として請求することはできない。

(二)  千草の支払った治療費一〇〇万円について

原告は岡大病院における交換輸血の費用に一〇〇万円を要したとしてこれを請求しているが、第一内科診療録及び糸島証言(第一回)によれば、右交換輸血は本件不適合輸血と直接の関係がなかった激症肝炎の治療の目的で行われたものと認められるから、この治療費を本件不適合輸血による損害として請求することはできない。

(三)  千草の支払った葬祭費二〇万円について

前記判示のとおり、本件不適合輸血と好子の死亡との間には直接の因果関係が認められないので、好子の死亡に伴う葬祭費を損害として請求することはできない。

(四)  原告・千草及び貞の慰藉料各二〇〇万円について

好子の子である原告ら三名が好子の死亡につき固有の慰藉料を請求できるのは、原告ら三名において、好子が死亡した場合、及び、死亡の場合にも比肩すべき又はこれに比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けた場合に限られる(最高裁判所判決昭和三三年八月五日民集一二巻一二号一九〇一頁)ところ、前記判示のごとく好子は本件不適合輸血によって死亡したわけではないし、また、好子が本件不適合輸血によって受けた前記四2(一)ないし(三)判示の傷害及び同四4判示の影響程度では、原告らにおいて好子が死亡した場合に比肩すべき又はこれに比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けたものと認めることもできないので、原告らは固有の慰藉料を請求することができない。

4  好子の判示2(一)の慰藉料請求債権が原告・千草及び貞に各三分の一宛相続されたこと、梶谷が昭和五八年一〇月一一日死亡し被告ら三名が法定相続分に従いその債務を相続したこと、千草及び貞が本件損害賠償請求債権を昭和六一年五月六日原告に譲渡し、その頃被告らに通知したことについてはいずれも当事者間において争いがない。

5  したがって原告は被告らそれぞれに対し次の損害賠償請求権を有することになる。

(一)  被告幸に対し 二二〇万円

(二)  被告伸顕及び同順子に対し 各一一〇万円

七  結語

よって原告に対し、被告幸は損害賠償金二二〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが本件記録上明らかである昭和四七年一二月二九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、被告伸顕及び同順子はそれぞれ損害賠償金一一〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで右同割合による遅延損害金を、それぞれ支払うべき義務を負うので、原告の被告らに対する本訴各請求は右の限度で正当であるから認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、八九条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笠井達也 裁判官 郷俊介 登石郁朗)

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